歴史の真実とは

http://iiaoki.jugem.jp/

歴史の真実とは
 歴史は戦で勝ち残ったものが文書として残すことが多いので、歴史上の事実は勝者の歴史が大部分で、敗者側から見た史実はあまり残らないか、勝者から歪められて伝えられていることが多いのではないかと思っている。また、後世の作家や講談師が話を面白くするために、適当に話を修飾したり創作したりするケースもままあることであろう。

 戦艦武蔵
 歴史教科書の記述もその意味で、文部科学省の言うように公明で公正なことなどはないのではないかと思っている。昨年、物故した小説家吉村昭氏の「戦艦武蔵」を書くときの姿勢として、「私は小説を書くとき、その裏づけとして取材をするが、まず他人の書いたものを全面的には信用しない。自らの足で歩き自らの耳で聴くことに徹する」と書かれている。そのときの取材ノートと本体の小説「戦艦武蔵」は20年以上前に上梓されている。
 
 多くの関係者からの取材と、実際に現場で目にし、耳にしたことは「戦艦武蔵ノート」に克明に記されている。吉村氏はあちこちに残された資料や文書を手に入れていくが、その中に2冊の書物があった。それは戦艦大和と武蔵の基本設計に関する技術の専門書と武蔵に乗り組んでいて生還したある下士官の手記である。前者はともかく、後者の手記の内容について吉村氏は疑問をもち、書かれている内容が作り話であったことを実証している。

 しかしながら、この手記は既に大手の出版社から出されていて乗組員の唯一の記録として世間では全面的な信頼を受けていた。高名な戦記に関する著作家までも、この手記の内容を引用しているので、恐ろしいことに、後世、これが確実な戦艦武蔵の歴史として伝えられてしまうことを憂えている。最後に吉村氏は「この下士官の手記は、歴史を冒涜するものであり、それを安易に転載、引用する出版社、著作家の罪はさらに深い」と結んでいる。この例のように、歴史の真実は後世に公正には伝えられないことが多い。

参考文献:
* 吉村 昭:戦艦武蔵ノート 文春文庫
* 吉村 昭:戦艦武蔵 新潮文庫
鈴木眞哉:戦国時代の大誤解 PHP新書