マルクスを語る

資本論と現代

 長谷部文雄訳「資本論」を読んだのは、高校時代のサークル活動だった。当時はまだ高度成長期以前の貧しい時だったが、何か難しいことにあこがれる雰囲気があった。ただ読んだだけで、理解したのかどうかはわからないが、小説の「カラマーゾフの兄弟」とか「チボー家の人々」などと同じレベルで、大作に挑戦することが流行っていた。


 昨年の9月15日のリーマン・ブラザースの破綻以降、都内の大書店にはマルクス・コーナーができて、マルクスエンゲルスの本とともに、漫画も含めていろいろな解説本が並んでいる。普通はマルクス経済学の聖書みたいに紹介されているが、この本は同時代のダーウインの進化論と同じレベルの哲学書であろう。というのは、いずれも社会と自然の進歩の方向を示唆する思想的産物だからだ。


 教条的に述べれば、資本論で語られていることは、資本家は労働者から労働力を搾取して価値を生み出し、それを使って再生産の資源とするが、やがては、労働者は搾取に耐え切れなくなり、団結して資本家と闘い革命を惹起することとなる。そして資本主義の究極の姿としての、誰でも平等な共産主義社会が出現するというものだ。


 1917年のプロレタリアート革命でロシアはソ連となったが、これは資本主義が成熟する以前の段階で起きた共産主義化であった。だから、それ以降のソ連の姿をマルクスが見たら「これは私の描いた共産主義社会とは異なるものだ」とコメントすると思う。やがてさまざまな矛盾に遭遇して、ソ連が崩壊したことがこのことを証明している。これからもマルクスが予言した社会は実現しないと思う。


 確かにマルクスが予言したとおり、資本主義も様々な矛盾を内部にはらみ、その結果は1929年の大恐慌となって現れた。生産過剰でものが売れなくなり、生産が沈滞し労働者の賃金が下がり、ますます消費が落ち込み株価の大暴落に見舞われた。政府がなくなった需要を創出するという思想で売り出したのがケインズである。山を崩したり、穴を掘ったりすれば、いくらでも仕事を作ることができるとも言われた。この考え続けると、政府の財政赤字が積み重なり、やがては政府が破綻することになるから、ケインズ主義でもすべてうまくいくはずはなかった。


 昨年来の国際的な金融崩落と信用不安で経済が落ち込み、その対策で各国が協調して財政投入を実施して需要の回復に邁進した。この結果、現在は小康状態を保っている。資本主義は本来、市場原理主義が基本で、政府の介入は避けた方がすべてうまくいくはずである。ただ、資源は有限であるが、人の欲望は無限であるから、この強欲にはある程度の制限が必要であろう。どの程度の金融規制が適当かの判断を、9月24日からピッツバークで始まる金融サミットで議論されることとなる。マルクスの思想は経済学だけでは世の中の経済動向を説明できないことを教えてくれている。
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