墜落ショック

日航ジャンボ機墜落
   1985年8月12日から25年目の夏を迎えた。日本航空の東京−大阪123便ボーイング747型機は群馬県上野村御巣鷹の尾根に墜落して炎上した。日本のことがNYタイムズの1面のトップ記事になることは滅多にないことであるが、この時は生存者をヘリコプターが救出する写真がでかでかと掲載されていたことを鮮明に記憶している。

 犠牲者の数は520名で、1954年9月26日に台風15号が引き起こした暴風と高波により転覆して沈没した青函連絡船洞爺丸の1155人に次ぐ大事故であった。洞爺丸事故はその後、水上勉氏が小説「飢餓海峡」の中で主要なモチーフとして使った作品がある。その後、映画やテレビドラマとして何回か映像として残されてきている。

  日航機事故は山崎豊子氏の小説「沈まぬ太陽」の中で、作品のクライマックスとして描かれている。映画化が難しいとも言われていたが、昨年、渡辺謙主演で公開された。二つの事故とも人為的なことが原因と断定されている。事故をなくすことは難しいことであるが、大事故が起こる前に小さな事故が何回か起きていることも判明している。些細なことでも見逃さずにその原因を究明することの重要性を教えてくれている。大事故は不思議と夏に起きている。両事故の犠牲者のご冥福を祈る。

  JAL会社更生法の適用申請から半年たったが、依然として視野は開けていない。その最大の原因は、山崎氏の小説でも描かれているように、社内に深く根付いているお役人体質である。それは、この会社は潰されないという甘えと優等生特有のゴマすりである。依然として毎日数億の赤字を垂れ流しているのだから、銀行側は及び腰という。稲盛会長には進むか退くかの決断が迫られている。

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