満州にいた人々
満州からの生還
現在65歳以下の人は第二次大戦後の生まれだから、もう直接的には日本がアメリカ合衆国と戦争していたことや爆撃のことなどは知らない世代になっている。1931年(昭和6年)の奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖での日本軍によるマッチポンプ以降、満州国建設のため、夢にあふれた人、国内で夢に敗れた人、一旗挙げようと思った人、国内で仕事の無くなった人など多くの日本人が時の政府の後援もあって、満州へ渡った。1945年8月15日の敗戦を境にして、それらの人々の運命が一転してしまった。日本への帰国のための惨禍が次の作品に記録文学として残されている。
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満州の記録
1.宮尾登美子「朱夏」新潮文庫:開拓団の教師として赴任
3.藤原てい「流れる星は生きている」中公文庫:小説家、新田次郎の妻、新田次郎は気象庁の技官として新京へ赴任
4.藤原正彦「祖国とは国語」新潮文庫:藤原ていの次男、数学者、満州再訪問
5.安倍公房:「終りし道の標べに」冬樹社、「けものたちは故郷をめざす」講談社
6.塚原キヨ子「満州引き揚げ回想記」
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