文学賞の価値

ノーベル文学賞

   文学賞は6部門のノーベル賞の中で、予想の最も難しい賞と言われている。それだけ賞に値する詩人や小説家が世界には多いということだ。この賞の選考委員会はスウェーデン・アカデミーの18人の会員からなり、スウェーデンの作家、言語学者、歴史家がいて、その身分は終身制という。「偉大な作家か理想主義的な傑作を書いた作家」という漠然とした受賞条件が公表されているだけだ。

   今年の文学賞に決まったペルー出身の作家、リョサ氏の受賞理由は「権力の構造を明確に描き、個人の抵抗、敗北を鋭く表現した」と発表されている。恐らく日本人で受賞者の名前を知っていた人は殆どいないのではないかと思う。1968年に受賞した川端 康成の名前を知っていた欧米人が殆どいなかったと同じ事だ。

   物理学や化学のような科学の世界と違って、文学の選考基準には絶対的な尺度が付けにくいから、その時の選考委員の主観的な要素で決まるように思う。ここ10年の文学賞をみると、かなり政治とか民族とかについて葛藤をテーマにした作品を創作する作家に与えられていると思う。だから、川端氏の作品は、いま尺度では受賞対象にはならないであろう。

   今年も日本では村上春樹氏、韓国では詩人である高銀氏に期待がかかっていたが、残念ながら受賞にはいたらなかった。だからといって、この二人の作品の価値が低いというものではない。受賞すれば著作が売れて出版社や書店が儲かるというだけの話である。ニューズウィーク誌が世界100大名著を選定したことがある。1位にトルストイの「戦争と平和」を挙げ、ジョージ・オーウェルの「1984年」が2位、ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」が3位だった。これら3人はノーベル文学賞を受賞していない。1901年の第1回ノーベル文学賞の最有力候補にトルストイの名前が挙がったが、フランスの詩人が受賞した。

   文学賞はある種のお墨付きと言う意味があるだけで、受賞しなかったからと言って、その文学価値が低下するものではない。川端作品よりも三島由紀夫や安倍公房の方に価値をおいている人も多いと思う。また、文学はそれぞれの個人が、自分にあった名作を探求することに価値があるから、ノーベル賞受賞作だから読みなさいなどと押しつけられるものでもない。英国のブックメーカーが賭けの対象にする価値はあるかもしれない。

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