平和賞の波紋

ノーベル平和賞
  科学関係の賞とは違い、平和賞は政治的な意味合いを持つことは必然である。それは受賞者に対する疑問として過去にも提示されて来た。昨年の受賞者であるオバマ大統領は、核兵器廃絶の演説をしただけで、具体的には何も成果を上げていない。中東和平ではイスラエルパレスチナの双方の代表が受賞したが、何ら問題の解決には寄与していない。それでも、未来への希望や期待を提案したり提示したりしたから、その価値は認めてもいいだろう。

  

  これに対して、人権を抑圧することや言論の自由を制限することは、1776年のフランス革命以来、自由、平等、友愛の精神に対する人間の基本的な権利の阻害であるから、人類共通の敵として排除されるべきことである。新華社通信は中国で服役中の民主活動家へのノーベル平和賞授賞式について、政治的な茶番劇とか政治ショーと非難する記事を載せている。過去にも、1989年にチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世に平和賞が授与された時と同じ批難である。


   今回の平和賞について「中国への内政干渉に断固反対する」と公式声明をしばしば出していて、その裏で、各国政府へは授賞式へ出席しないように要請していた。これこそ他国への内政干渉であり、自家撞着に落ちいっていることを知るべきだ。中国では、すでに密かに「空席の椅子」の写真がネット上に流出したり、香港では祝賀会が行われていて300人が参加したとのニュースが流れている。やがては、格差や不公平の源が、独裁政権にあることに気がつく人々が増加して、そのうねりを押しとどめることはできなくなるであろう。

  授賞式に招待されながら、欠席した国はロシアをはじめ19カ国という。それぞれに中国との距離がどの程度か不明であるが、共通していることは、これらすべての国は、言論の自由ランキングで100位以下の国ばかりということだ。
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