日本の製鉄

近代製鉄業発祥150年
  砂鉄を使う「たたら製鉄」から、鉄鉱石を原料とした還元プロセスを使う近代製鉄への開始は旧暦で1857年12月1日とされている。日本のモノづくりの原点となる洋式高炉での製鉄業は岩手県釜石市で大島高任(たかとう)が設計した設備によるものである。
   

  その後、1901年には官営八幡製鉄所へと引き継がれ、産業のコメと言われる鉄鋼材料は明治時代の殖産興業の礎となり、第二次大戦後には日本経済の復興へと貢献してきた。終戦の1945年には殆どゼロだった生産量は今年は1.2億トンと予想されている。鉄鋼業発展のプロセスでオイルショック、急激な円高アジア通貨危機、平成不況など激動期を乗り越えてきた背景には、鉄鋼業の技術革新と需要家との連携業務を欠かすことはできなかった。

  1945年から70年までは、臨海製鉄所建設のための主として、大型化、高速化、連続化のための量的な技術開発であったが、1970年から95年までは生産と品質の管理技術、コンピュータ化、需要家ニーズの品質開発、省エネルギープロセス、廃棄物ミニマムプロセスなど質的な技術開発であった。結果として、量的には中国などに追い越されているが、生産技術や高級材料の製造などでは、依然として日本鉄鋼業の技術力は揺らいではいない。

  生産量が年間1億トンを超える企業の出現や4億トンにもなる中国の生産などで、世界の鉄鋼生産模様は21世紀になってから大きく変化してきている。1970年までは粗鋼生産の伸びがそのまま日本GDPに反映されていた。その後は車や電機産業の発展で、日本経済に占める割合は低下してきているが、日本経済を支えてきた象徴的な産業が世界の中でその威力を発揮続けるためには、鉄鉱石や石炭を海外に頼る産業であるから、さらなる技術革新や産業再編しかあり得ない。
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