資本主義の精神

倫理観の喪失
 20世紀末に、ソ連を中心とした社会主義が崩壊して、中国共産党国家も市場主義を標榜するようになり、誰もが、やはり自由主義経済を基本とした資本主義は正しかったと思い、その理念が21世紀を保証するものと思われた。その総本山であった米国NYのウォール・ストリートこそ最後の聖地として光り輝いていた。
  
   ドル紙幣は1ドルから100ドルまで7種類発行されている。どの紙幣の裏側にも、ある文字が刻まれている。それは「IN GOD WE TRUST」(神の名において)と読める。米国社会の規範はキリスト教であり、それも主としてプロテスタントの信仰である。だからこの社会の背景には、アメリカ人を支える倫理感があり、その倫理感の底にはキリスト教と言う神が横たわっていたはずである。

  神の摂理によって誰にでも天職が与えられているか、あるいは天職としており、人々は神に喜ばれるように働かなければならないという倫理で支えられていた。その神に対する言葉は形式的なものとなり、神の許さざることをウォール・ストリートの住人達はしてしまったようだ。それは社会主義という対立項を失った独占的な体制が陥った運命だったのかもしれない。あるいは有限な地球に対して、人の欲望は無限なことに気がつこうとしなかったのかもしれない。
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  日本語の倫理には宗教的な意味はなく、規律、清潔、誇り、正直、信頼などといった価値観が日本の倫理のようだ。日本の過去の首相が、しばしば日本的な感覚で、この言葉を使って、誤解を与えてきた。例えば「米国の政治家は厳しい倫理に欠ける」とか、「アメリカには額に汗して物を創造していくという勤労の倫理に問題がある」などと国会で答弁して、アメリカ側からクレームがついたことがあった。今となってみれば、特に後者の発言は、かなり言い得て妙なところがある。

 かって1980年代の後半において、日本も今のアメリカと同じように倫理を喪失した時代があったことを忘れてはならないし、一度失われた倫理観はなかなか元には戻らない。そして、いつまた倫理の大いなる喪失が再現されるかもしれない。現在の金融不安が収束した時点は、新たなるバブルの始まりとなる可能性があるからだ。