産業の歴史

橋の崩壊に関連して

  ニューヨーク市には、国外用のケネディ空港と国内用のラガーディア空港がある。後者はマンハッタンに近く、いつも周辺は混雑している。大リーグのメッツの本拠地であるシェイ球場が傍にあるので、飛行機のコースによっては離着陸時に、瞬間ではあるが試合を真下に観られることもある。空港はイーストリバーとニューヨーク湾の入り込んだところに位置しているので、そこから西のブロンクスへはホワイトストーン橋の釣り橋があり、空から美しい巨大な容姿を観察することができる。全長1200mのこの橋は1939年に完成した。
 

  この橋は完成当初から風もないのに、橋全体がいつも微妙に振動しているので、いつか破壊するのではないかと恐れられていた。それから1年足らずの1940年11月に、シアトル郊外のタコマ橋が、少しの風で振動が大きくなり、橋げたが崩壊した。完成してから1年もたっていなかったが、この橋も微妙に振動していた。設計者を含めて、多くの技術者がその原因調査をしていたので、破壊にいたるまでの映画や写真など記録に残されている。そのため崩壊原因の十分な調査ができ、後世に多くのデータを残すことができた。

  鉄の橋の歴史は、18世紀中頃、近代製鉄業発祥の地である英国バーミンガム西北のセバーン河流域から始まった。その後、多くの歴史を踏まえながら、当初の重厚な形から徐々にスマートな容姿へと発展していった。この過程では、確かに技術が伝承され、強度的な設計そのものにも、多くの革新技術が取り入れられた。その技術集約の極限がタコマ橋だったのではないかと推定される。この事故から直ちに、ホワイトストーン橋では振動防止対策が検討された。記録によると、トラスの補強や、ケーブル支持の変更などが実施されている。

  けれども、この橋の振動は未だに完全には無くなっていないそうである。筆者は何回もこの橋を往き来したものだが、車の中で感知できるような振動ではない。完成した構造物に後から補強を行っても、弱点を無くすことができないことを示している。経済的な問題はさておき、本四橋の完成で、日本の釣り橋技術は世界のトップクラスになっている。材料の進歩、計算機による強度計算など、タコマ橋の設計時とくらべると、周辺技術の格段の発展による恩恵があるものの、産業革命から連綿と伝承されてきた技術が生かされてきていることは言うまでもない。
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