言葉の障壁

英語と日本語の間
   日本語特有の表現、あからさまな否定を避ける心、本音とたて前など日本外交でも数々の問題を引き起こしてきた。中でも、1960年代から70年代にかけての繊維交渉と沖縄返還交渉では、佐藤首相が「善処する」と言った言葉を、ニクソン大統領は「事は決着した」と誤解して、後で「嘘つきジャップ」と罵ったと言われている。その後の、頭ごなしの「米中国交回復」や「10%一律関税」などにニクソンの怒りが示された。


   長年、異国に住んで仕事をしていると言葉は堪能となり、その国の国民性や文化にも精通する。長所や短所もよくわかっている。仕事上、頭にくることもいろいろと出てくる。母国に帰ると、つい体験してきたことで、言いたくなる事もあるであろう。しかしながら「暗黙の了解」とか「目は口ほどにものを言い」などという意味を理解できる米国人はライシャワー博士ぐらいであろう。だから、本当の事は引退してから言うべき事だった。


   国会でも「オープン」という誰でも知っている日本語が使われている。1980年代であるが、日米の貿易不均衡が、現在の米中のような関係だった。1ドルが260円前後という円安が、その一つの原因だったが、それよりも、日本市場が開放されていないとの主張が米国側からしきり出されていた。日本側からみると、十分に日本市場は他国と比べても開放されていても、日本には産業構造上や個人の意識の上での障壁が大きく、米国内の日本企業と比べると、米国企業の日本への進出は難しいと言う結論になる。



  「オープン」は「開放」としか訳しようがないが、何を基準としてオープンと言うのかの尺度が異なれば、交渉はすれ違うのは当然だ。このあたりの問題から、日米構造協議なるものが米側から提案されて、数々の要求事項が毎年、米国から提案されてきた。その中の一つに、日本国を揺るがした郵政民営化もあった。さらに、この延長上に現在のTPPがあることを忘れてはならない。