風評の出所

風評のもと
   風評のもとは官房長官の発する「直ちには影響ない」、「今のところは安心」、「念のために出荷止める」などの、責任逃れのために、巧妙に使い分ける副詞と形容詞にある。曖昧な表現が噂と風評を呼ぶ。社会主義者大杉栄が殺された関東大震災でも同じであった。


   経産省原子力安全保安委員長の記者会見をTVで見たが、この人の会見態度はなっていない。まるで人ごとみたいに、しかめ面をしたり、ため息をついたりしていた。国の原子力安全委員長のこの態度は人を不安にさせる。問題の処理ができないのなら早く辞表を出して、もっと責任感のある人を出してほしい。そんな人は役人にはいないか。

   先日はNAPRAという計算科学の会合に出てきた。さまざまなシミュレーションが示されたが、その中に、海外沿いにある原発を襲う津波があった事には驚いた。311の後ではなく、だいぶ前から作られていたものだ。ハードの進歩に合わせて、シミュレーションの世界もどんどん進んでいる。このようなことが分かっていて、放置してきた東電の経営責任は重い。

   災害にはTWツイッターとFBフェイスブックのどちらがよいか。それぞれの特徴を生かして使えばいい。TWは不特定多数に発信できるし「中央線は」とか呟くと「三鷹まで動いている」などと返事が来る。FBは友達の輪が基本だが、携帯が繋がらなくても通信ができるから「元気だ」などと伝えられる。双方とも米国発で登録は無料だ。


   自動車事故で死んでいる人は全世界で毎年平均10万人、航空機事故では1000人、だからといって、車には乗らない、飛行機には乗らないと言う人はほとんどいない。当人の意志とは無関係に、文明の利器を利用して得られる利益と失う損失との兼ね合いなのだ。


   控え目に14都道府県の知事選挙が始まった。東京都知事の候補者たちをみて、思い悩んでしまう。これといって投票したい人物がいない。どの選挙もこれまで棄権した事はないが、今回は遠慮するのも一つの意思のように思える。でも棄権はだめだ。