中国の核実験

シルクロードの悲劇
   井上靖氏の小説「楼蘭」は、シルクロードの中心地である西域ものの短編集だ。楼蘭は1900年にスウェーデンの冒険家スウェン・ヘディンによって発見された古都である。紀元前130年頃から僅か50年間ぐらい歴史上に現れた幻の都市国家だ。漢の武帝時代に北からの匈奴の襲来を防ぐために送られた張騫(チョウケン)が見つけた。楼蘭匈奴の脅威に怯えている国で漢との関係ができると、どちらと友好関係を結べばいいかどうかで、内部に分裂ができ始めると言う物語だ。

   この名前が再び歴史に登場したのは1964年になって、この地域が中国の核実験場として使われたからである。1996年までに核実験が45回にわたり実施された。中国は徹底的な秘密基地化を図ってきたが、1998年になって、核実験によるシルクロードにおける悲惨な死を主題にしたドキュメンタリー「Death on the Silk Road」が英国によって制作されて放送された事で世界に知られた。この間、NHKシルクロードの歴史ロマンを喧伝したが、核実験の事実を知りながら、中国政府から固く口止めされていた。


   だから、日本からは多くの旅行者がこの地域に足を踏み入れて、その総数は50万人とも推定されている。この中には、画家で昨年亡くなった平山郁夫氏も含まれている。彼は楼蘭に魅せられて、何度か訪れて作品を残している。その時の模様は彼のエッセイに残されている。「迷わずに描く場所に突進」、「寂として、画用紙を這う鉛筆の音だけが異様に大きく響く。明るい陽光が遺跡の陰影を浮かばせている。見渡すかぎり一木一草もない死の世界だ」などとあるから、もしかして画伯は、その景色が原発の実験場と知らなかったとしたら悲劇である。


   中国政府は第三者調査に対し現地を公開しないだけでなく、核実験事実およびその周辺への影響を開示していない。実験に巻き込まれたウイグル人は20万人とも想定されている。それは、この地域と北西に国境を接するカザフスタンでの科学観測データから推計されている。日本へも春先に起こる黄砂によって、長年、毎年のように核実験残留物がまき散らされて来た。1978年に映画「西遊記」の撮影で楼蘭の砂漠に滞在した夏目雅子さんも、その後、白血病になり1985年に28歳で亡くなった。