根拠を失った推論

それでも論告求刑のおかしさ

   陸山会事件公判での論告求刑は、郵便不正事件の場合と同じで、被告の供述調書が殆ど証拠として採用されていないから、まるで検察の推理作文みたいで空虚な内容だった。それは文章の語尾が殆どすべて「・・・と推認される」、「・・・と考えるのが自然」、「・・・としか考えられない」、「このことは百も承知していたはず」、「・・・と考えるのが合理的」などと、検察側の憶測を交えた曖昧模糊としたものだ。これではどの法律のどの条文で罰せられるのか分からない。罪刑法定主義に反する。

   さらには、「公共工事の発注に関する利権疑惑が取りざたされるのを避けるための犯行」、「国民に対する背信行為」、「政治への不信感を蔓延させた」などと、まるで三文週刊誌の記事みたいな文言の羅列である。世田谷の土地購入に充てたカネの出所については「公にできない性質の資金」と証拠もなしに決めつけ、収支報告書については隠蔽工作と強調するだけだ。すでに、地裁が無視した水谷関係の証言を「合理的で信用性が高い」と勝手に決め付けている。


   このように論告求刑は、その大部分には証拠がなく、論拠も不明なオンパレードなのだ。検察の憶測と想像に溢れていて、法律論争には全く向かない。東京地裁が秘書3被告の供述調書を大量に却下したので、検察としてはお粗末な三文小説みたいな論告にしかできなかった。最終弁論は8月22日、判決は9月26日だ。こはやターゲットの小澤氏に対する検察調査会による強制起訴の根拠も失われている。