226事件の意味

226事件の真相
    昭和史は高校の日本史でも省略されることが多いみたいだ。それは、歴史としては未だ定着した考え方が確立されていないからだ。1931年9月18日の柳条湖事件をきっかけとして満州事変がはじまり、1945年8月15日に敗戦を迎えるまでの14年間に、1868年の明治維新以来、積み上げてきた近代日本というバブルの塔が崩壊する過程が凝縮されているように思っている。中でも226事件を境として軍部は急激に、今の北朝鮮のように軍事優先国家形成に邁進していった。

   二・二六事件(ににろくじけん)は、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、 日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが約1500名の兵を率い、昭和維新断行と尊皇討奸を掲げて起こしたクーデター未遂事件である。軍国主義の風潮が社会を取り巻く中、彼らは重臣を殺害し、首都の中枢部を4日間に渡って占拠するというわが国近代史上最大の騒乱事件だ。第一師団歩兵第三連隊兵舎(元 東京大学生産技術研究所、現 国立新美術館)は決起の中心的な役割を果たした。

   この事件が分かりにくいのは、決起した反乱軍と鎮圧した政府軍の思想的な背景である。反乱軍は皇道派天皇指導の下で軍事優先思想だったはずだが、天皇は反乱軍に激怒して鎮圧に乗り出している。ところが、この事件をきっかけとして、軍備拡大路線に動きだし、結果的には反乱軍の掲げていた超軍国主義国家が形成されて行き、第二次世界大戦へと突入して行ったからだ。要するに、単なる陸軍内部の派閥抗争に過ぎなかったとも見られる。また、決起させられたとか、見て見ぬふりをしたとか言う説もそのせいだ。

   蛇足:六本木から青山へ向かって右側には元の防衛庁東京ミッドタウン)があり、左側には東大の生産技術研究所国立新美術館)と物性研究所に入る道があった。その入る道の右側の角にはレストラン龍土軒(現在ガソリンスタンド)があった。ここが反乱軍将校の打ち合わせ場所だった。現在のレストランは西麻布の方に再建されている。
松本清張著「傑作短編コレクション」文春文庫
宮部みゆき著「蒲生邸事件」文春文庫
松本清張著「昭和史発掘10」