瓦礫処理と言うおいしい仕事

瓦礫処理を長引かせるメリット

   1年かけて、太平洋を漂流してアラスカやアメリカに辿りついたサッカーボールやオートバイの話がニュースとなっている。海外の拾得者が持ち主だった人を探して返還すると言う事は美談として成り立つ。足元を見れば大震災から1年で処理できたガレキはわずか6%と言うからこれは野田内閣と環境庁の恥さらしな醜聞としか思えない。自治体にお願いすると言うだけしか知恵のない細野大臣では全く期待できそうもない。


   廃棄物処理場は迷惑施設だから、どこの自治体もギリギリでやっている。焼却炉は耐用年数が20年と短く、建設地だけでなく財政の圧迫の中で全く新設のメドもたたない。だから自治体が被災地のガレキを受け入れを渋るのは、住民の過剰な放射能の心配というだけでなく、そもそも他県の分まで処理する余力がないという構造的な事情なのだ。さらに、役所や縄張り意識が相も変わらず仕事を遅らせている。内閣の関係閣僚会議で新たに盛り込まれた対策として「セメント会社など民間企業にも協力を要請する」というが、もともとあった提案も環境省の縄張り意識と怠慢で放置されていただけだ。

   民主党一般廃棄物推進議連は、震災前から、民間のセメント工場の焼成炉の利用を研究していた。ゴミはセメントの原料になる。大手セメントメーカーも、自治体に代わって家庭ゴミを焼却することに前向きなのだ。廃棄物処理にあたり、環境省自治体に補助金を出している。そのようにして国は地方をコントロールする権益を持ち続けている。そこに民間が割って入ることを、役人は好ましく思わないだけだ。彼らにとっての仕事とは、毎年、予算を獲得する案件があり、獲得した予算を地方に配分する権限こそが狙いだから、廃棄物処理を促進するメリットは全くなく、むしろ長引けば長引くほど、彼らの権限を維持できるからだ。このような役人根性こそが最大の廃棄物で早急に処理されるべきものだ。