植木 等さんを悼む

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植木 等さんを悼む
 昭和2年(1927年)生まれの人がまた逝った。先に逝った小説家の藤沢周平氏、吉村昭氏、城山三郎氏もともに同じ年生まれである。80歳といえば日本人男性の平均寿命である。この世代は昭和16年の真珠湾攻撃の頃は14歳であるから、戦争へ駆り出される年齢ではなかったが、その意味につい多少は理解していたことであろう。戦争終結の昭和20年には18歳であったので、日本の敗戦、食糧危機、占領軍の統治、東京裁判などすべて克明に理解して受け入れていたのではないかと思う。

高度成長期
人生の最も多感な時にこのような強烈な激動のときを過ごした彼らには、それぞれ自己の生き方に対して強い個性が備わっていったのではないかと想像される。植木さんの娘さんにピアノを教えていた人の話によると、家庭では彼は映画やテレビからは全く想像もされない謹厳実直な男であったそうである。それであるからこそ、映画、音楽、コントなどで無責任男の外の顔を作り上げることが出来たのであろう。

 映画の出始めた1960年代の日本は、まさに今の中国のように高度経済成長が始まりだした時代であり、サラリーマンはただ只管に黙々と働き続けていたのである。彼はそのような人々に働く意欲をわかせるために、無責任男を演じてくれたのだと思う。

彼の映画を見て、誰も彼の非現実的な行動がうらやましいと思った人はいなかったはずで、それとは逆に、映画を見て、明日からまた頑張ろうという意欲に掻き立てられたのであろう。その時代風潮にマッチした人生であった。