ゲルニカ 防衛大臣

ゲルニカ
 ピカソの名画に縦3.5m、横7.8mの大作ゲルニカがある。死んだ子を抱き泣き叫ぶ母親、天に救いを求める人、狂ったようにいななく馬、などが戦争の悲惨さを訴えている。 この絵の誕生はスペイン内戦の1937年4月にスペインのバスク地方の小都市ゲルニカが、フランコ将軍を支援するナチスによって、史上初めての都市無差別空爆を受けた。そのことをパリで聞いたピカソが、かねてスペイン人民戦線政府より依頼されていた同年のパリ万国博覧会スペイン館の壁画として、ゲルニカを主題とした作品に取り組んで完成させたものである。

 Picasso - Guernica
 この絵はその後、NYの近代美術館に預けられたが、1981年にスペインに返還され、現在マドリッドプラド美術館に展示されている。ピカソはこれと同じ図柄のタペストリーを3つ制作していて、そのひとつがNYの国連本部の安全保障理事会議場前に反戦のシンボルとして展示されている。ここは理事会が開催されていない時なら、一般入場者に公開されているからいつでも見ることができる。

 現在、ゲルニカの平和博物館で長崎と広島の被爆資料を集めた原爆展が行われている。開会式では長崎の被爆者が「被爆者を二度とつくらぬため、長崎を最後の被爆地にしてください」と訴えた。今年はナチス・ドイツによるゲルニカ空爆から70年になる。すでに、ドイツは第二次大戦後、この無差別爆撃に対して正式にスペインに謝罪をしている。

 同じような無差別爆撃をドイツのドレスデンに対して行った米国も戦後、ドイツに謝罪している。それよりも重大な無差別大量殺人を広島と長崎にした米国は日本に対して謝罪をしていない。これこそ日本国の防衛大臣が米国に対して要求すべきことなのである。