酷暑、猛暑、厳暑、残暑

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酷暑、猛暑、厳暑、残暑
 子どもの頃のことだが、その当時はエアコンとか電気冷蔵庫すら一般の家庭にはなかったので、どのような夏のすごし方をしていたのであろうか。東京の小中高では、臨海学校があり、主として房総海岸へと、いまの国技館のある両国駅から汽車で出かけた。内房総の保田とか竹岡とかの記憶があり、宿泊していたのは大きなお寺だったように思う。貧しい家だったが、どうして参加費用が調達できたのか不思議だ。日帰りでは横須賀線で鎌倉、江ノ島、逗子などの湘南海岸へ友達と海水浴へ出かけた。マイカーなどはない時代であるから、電車はいつも満員だったような記憶がある。
 
 町にはアイスキャンディやかき氷屋があり、イチゴなどと注文して食べると口の中が真っ赤になるしろものであった。プールは小中高学校にはたいていあり、大人にも開放していたし、近所の大学のプールも利用できた。夕方になると、打ち水をして縁台に年寄りが集まって、首には濡れタオルを巻き、団扇を片手に談笑していた風景を思い出す。何もなくても、それなりに暑さしのぎの知恵を持っていたようだ。

 社会科の教科書にも出ている日本の最高気温、昭和8年7月--1933年--山形の40.8度が昨日、岐阜の多治見市と埼玉の熊谷市で0.1度だけ破られた。40度を越えた記録は、この山形のものは例外的で、これ以外はすべて平成になってからの記録である。40.9度の記録も地球温暖化の傾向が続く限り、あまり有難くはないが、更新されるのも時の問題であろう。

熱中症による死者が出るのは、高齢化人口が増加しているからと推測できる。最近の株価低迷や防衛省人事を巡る内閣の混乱も、感覚的にこの暑さに輪をかけている。このように暑の中にはさまざまな思い出や社会現象が含まれている。