シビリアンコントロール

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シビリアン・コントロール
 シビリアンというのは、軍事に関することを取り扱う人に対して使われる言葉であるから、それ以外の一般市民、文民ということになる。政治の世界では、国民から選挙で選ばれた議員は当然シビリアンであり、防衛大臣はこれに該当する。防衛省では大臣と副大臣だけがシビリアンで、それ以外は背広を着ていてもシビリアンではなくて軍人、日本では自衛官ということになる。シビリアン・コントロールの原則から考えれば、軍人はシビリアンの指揮、命令、監督の下に置かれている。防衛大臣の肩を持つわけではないが、防衛省事務次官も人事については大臣の命令に従わなければならない。


 今回の防衛省人事についての混乱は、この原則を揺さぶるものであり、次官が大臣の命令に従わないのは論外であり、その上に、その次官は人事案の再考を求めて首相官邸にまで押しかけたことは、軍人の暴走以外のなにものでもないであろう。

首相も首相で、どうしてそのようなことを許してしまったのか。シビリアン・コントロールの原則さいえも理解していないとなれば、日本国の最高権力者として鼎の軽重を問われかねない大問題である。官邸主導とか脱官僚政治をするとか言っていたが、実態は完全に官僚に舐められていることを露呈してしまった。

 これだけに留まらず、何かと有識者と称して御用学者や御用経営者、タレントなどを招集して脱官僚政治のための会議を開いていたが、その場の思いつき発言ばかりで、意見がまとまらず、結局は関連する各省庁の頭のいい官僚の作る作文を会議の結論としてしまうことになり、脱官僚どころか親官僚政治をしていたことになる。

 えらそうなことを発言してしていたが、首相よりもはるかに頭脳の優れた官僚どもはすべて見通していたのである。そういうことすらも首相以下、官邸少年団は理解していなかったことになる。まさに霞ヶ関の官僚たちの哄笑が聞こえる盛夏であった。