審判の公正

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審判官の公正
 甲子園の高校野球勝戦で、負けたほうの監督が「主審の判定に疑問あり」とスポーツ紙で公言して物議をかもし出した。本来中立であるべき審判官であるが、人は誤るものであるという格言にもあるとおり、判断に狂いがあることは当然であり、これが人の世のならいであるなどと尤もらしく結論してしまうとこの話も終わってしまう。
 
 中立的な判断は常識に従うものであり、常識とは世の中の半数以上の人が認めていることであろう。最近では選挙の結果も、ネット上での予測は外れることはほとんどない。それが常識という尺度と結論するのはまだ早いかもしれない。これは厳正中立を標榜している裁判でも同じことである。

 さて、話はアメリカの大リーグに飛ぶが、テキサス大学のある教授が大リーグの球審の判定についてデータを発表している。データは2004年から2006年までの間に投球された210万球の分析をしたものという。大リーグの投手は70--が白人で、主審の80--が白人であるから、そのデータによると白人の投手に有利な判定が下されているという。

 主審と投手の両方が白人の場合に、最もストライクが多く取られて、最もストライクと判定されるのが低い組み合わせは白人の主審と黒人の投手の場合という。MLBにはアジア系の主審はいないので、マイノリティの主審はアジア系の投手に対して不公平な判定をすることもデータが示している。

 不利な判定といっても、それは投球数の1--であるから、1試合にほぼ100級投げるとして、1球のことであるが、接戦の場合にはこの1球が投手に不利な判定の場合、その投手には心理的に深く影響することにもなる。ボストンの松坂投手は「審判には誤審があってもペナルティがない」とか「なんで警告なしに不正投球を取られたのか」などと不平不満を口に出しているが、自分でもこれまでに不利な判定を感じてきているのであろうか。

 アメリカの社会には人種差別はありえないというが、実際には隠れたところでは存在していることは公然の秘密である。たとえば、どこかのクラブに加入しようとして申請書を出しても、永久に待たされることもある。どこの国、社会でも何らかの差別があるのであるから、外国で仕事をする人は特にこのことを十分に弁えてその能力のすべてを投じなければならない。