テロとの戦い

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テロとの戦い
 祖父や父親の名を汚してはだめと親族から諭されて、選挙で敗北しても座り続けいた椅子であった。それを維持するために盟友と思われていた老獪な幹事長をその周りに配してまではよかったが、手足が出せぬほどに床の間に飾られてしまっては、坊ちゃん宰相としても、少しは骨のあるところを見せなければならない。その舞台として選んだのが、APECが開かれたシドニーであった。自爆テロと同じように、テロ特別措置法が延期できないのなら辞任すると開き直った。

テロ特措法を確実に通したければ、8月中に臨時国会を開催して2ヶ月前に参議院で否決されれば、自動的に承認される手があったが、あえてこうすることで、小沢が日米関係を壊したとの論法にしたかったと受け取れる。しかしながら、この法律は6年前の911同時テロの後のドサクサ紛れにいい加減な議論で成立したもので、その後、連立政権の数の力で、国民にはその実態が示されないまま、延長を重ねてきたものだ。6年たってもアフガンの紛争は終わらないし、海上給油は泥沼化したイラクのためにも行われているという疑惑もある。

 そもそもテロとの戦いは、泥棒や詐欺との戦いと同じで、いくら警備を強化しても人間社会から絶対になくすことはできない。テロとの戦いと力んでいたブッシュ大統領も米世論からは見放されている。任期を後1年と少しのブッシュにいつまでも肩入れしている必要はない。憎しみには憎しみを持って対抗するという考え方から、世界は徐々に方向を変えつつあることを見誤ってはならない。