防衛論議 守屋氏

防衛論議
 米国では軍隊に納入するナイフやフォークが1本で1万円というような話を聞いたことがある。軍事予算はどこの国でも、実際の価格よりもかなり過大になるものである。だからこそ、文民統制、すなわちシビリアン・コントロールが重要になる。誤解している人がいるが、文民とは選挙で選出されている人を言うのであるから、防衛省に勤務している人は大臣を除いて、背広を着ている人もすべて軍人である。軍人がしたい放題に勝手のことをして、国を滅ぼしてしまう歴史は枚挙にいとまがない。
 
 そして死の商人と言われる武器を取り扱う業者は深くその国の行政機構の内部に取り付き、官僚や政治家も含めて思うさま商売を切り盛りする。明治維新政府でも、政権の中枢部を握った旧長州藩の政治家が、海外からの武器調達で多大な甘い汁を吸っていた。あまりにもひどいことをした一部の政治家の名前だけしか歴史には出てきていない。

 大正時代にも、武器企業のドイツのシーメンス社から海軍の幹部がリベートを受けていたシーメンス疑惑、英国の造船会社ビッカース社から海軍軍人が金品を受け取っていたことなど有名な疑獄事件を思い出す。

 軍関係の腐敗、汚職や暴走などは戦前の日本軍の歴史そのものである。最近でも、前首相の戦前回帰思想に同調して、陸上自衛隊の幹部が独自に憲法改正案を作成したり、情報保全隊イラク派遣に反対するジャーナリストを監視したり、その横暴ぶりが伝えられている。このような軍の暴走を抑制するのが民から選出された政治家であるが、そのシビリアン・コントロールが正常に機能しているのかどうか厳しく監視しなければならない。

 先般、防衛施設庁は解体されたが、武器調達に絡むことは相変わらず目に余る横暴ぶりであることが、今回の前事務次官の疑惑を生みだしている。自衛隊への戦闘機の購入値段は米軍への納入価格の1.5倍であることに示されているように、武器の値段の適正な価格は一般には判断基準がないことが疑惑を生む温床になっている。
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