運命の娘を悼む

運命の娘を悼む
 今年の暮れも押し詰まってからの暗殺事件で、掉尾--とうび--を飾るはずだった株価まで下がってしまった。パキスタンの首都イスラマバード近郊でブット元首相--54--が暗殺された。来年1月8日の総選挙に向けた集会会場から立ち去ろうとした際に狙撃された。父娘と二代にわたる悲劇である。


 ムシャラフ大統領は「テロリストの悪意に満ちたたくらみは、打ち負かされるだろう」と強く非難した。ブット氏がテロの犠牲になったことで、パキスタン情勢が混迷を深めるのは確実だ。 大統領は非常事態宣言を解除して、ブット氏と総選挙後の協力協議を続けるなど政局の安定を目指していた。大統領とブット氏の連携により、核保有国のパキスタンの安定を望んでいたブッシュ政権も、民主化を含めた対応策を根本から練り直すことになる。

 テロとの戦いを進める米国にとって、最前線のパキスタンの協力と治安維持は必要不可欠なことだ。先に紹介した今年の米国の10大ニュースのトップがパキスタン情勢であったことは意外なことと受け止められていたが、これでその意味が理解された。このままイスラム原理主義者の台頭を許せば、テロとの戦いはまさに空中分解してしまう。

 日本はこの際、海上給油に全力を傾けるのではなくて、今一度、もてる外交力をフルに使って中国とロシアに話をつけて、アジアの平和と安定のために努力すべきと思うが、残念ながら高齢首相とピンボケ外相ではほとんど期待できないか。

 --ブット氏略歴 --ブット氏は1953年6月21日、アリ・ブット初代首相の長女としてカラチで生まれた。69--77年に米ハーバード大と英オックスフォード大に留学。77年の軍部のクーデターで自宅に軟禁され、その後、英国へ亡命。86年に帰国し反政府運動を展開した。88年11月、ハク大統領の死亡に伴う民政復帰選挙でブット氏率いるパキスタン人民党が勝利。同年12月に35歳でイスラム教国家初の首相に就任した。 90年8月、当時のカーン大統領に首相を解任された。93年に一時首相に復帰したが、96年に再び解任された。99年には汚職などで禁固刑の判決を受けた。
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