消えた聖火

消えた聖火 
 オリンピック憲章では「オリンピック競技の場ではいかなる政治的・宗教的・人種的主張もしてはならない」と規定されている。しかしながら五輪の歴史を振り返れば政治とスポーツとは不可分の関係にあることが証明されている。五輪開催を契機として先進国入りを目指している中国が、五輪と政治を結びつけるなということも自己撞着であろう。


 ロンドン、パリと平和の祭典の象徴である聖火リレーの物々しさと混乱が世界中に放映された。パリでは消えた聖火まで生々しく画面に出てきた。この後、サンフランシスコでも騒動が予想されている。4月26日には長野市聖火リレーが予定されている。長野市のシンボル善光寺を午前8時に出発して、五輪会場を一巡するおよそ20キロのリレーという。

 中国側との打ち合わせでは、五輪に反対したり、中国政府を批判したりするような活動は事前に一切排除してほしいとの要望が長野市に出されていると聞く。これを受けて、警備を厳重にして整然とした聖火リレーをしたとすれば、中国からは褒められるが、世界からは批難の嵐が巻き起こるような気がする。

 5月の中国国家主席の訪日、6月の北海道サミットなどを控えて、日本政府も外交上の駆け引きとして、平和の祭典ですからなどと曖昧な態度で終始するのではなくて、人権問題については毅然とした態度を表明すべき時に来ている。相手の言いなりでは、国際的には馬鹿にされるだけで全く通用しない。

 国連でも当初、国連児童基金ユニセフ)は国際オリンピック委員会IOC)の要請に従い、北朝鮮国内の聖火リレーに参加する予定だった。しかし「参加しても北朝鮮の児童が置かれている現実を知ってもらう上で役立つと確信できない」として、他の国連機関と同様に聖火リレーに参加しないことを決めた。国連の聖火リレー不参加は北朝鮮の体制に対する批判である。また国連の協力を求めたIOCの感覚に疑問が出されている。
http://iiaoki.jugem.jp/?eid=1850
http://iiaoki.jugem.jp/