結果責任を問う

結果責任を問う
 大新聞はこぞって日銀総裁人事では民主党のやり方を大人げないと批判しているので、そうなのかと考えている人も多いことであろう。本当にそうであろうか。確かに民主党代表が財務省からの天下りは駄目、中央官庁からの指定席は駄目というだけならいかにも大人げないと思われても致し方ない。それにしても、財務省が何が何でも総裁か副総裁ポストを獲得しなければならないという執念の方も大人げないのではないか。


 振り返ってみれば、日銀は時の政府の道具にされてきた長い歴史がある。第二次大戦中は戦時国債による戦争費用調達、戦後は復興債券の発行で市場を荒らして猛烈なインフレを招いたこともある。このことは日銀出身の新総裁が就任の挨拶で指摘していたとおりである。

 国の債務残高が現在840兆円になっているが、これを積み上げてきたのは国家財政を預かってきた財務省である。そこでの経験者を借金の残高を調整することができる日銀の経営ポストに据えたいということであるから、倒産すれすれの企業経営者を大銀行の経営者に据えたいというのと同じであろう(この項、相愛大学高橋乗宣学長の論)。

 積み上げた借金で首の回らないところに、日銀が政策金利を1%上げれば、さらに借金が10兆円も増加する。これではならじとばかりに、財務省関係者は何とかして、低金利の維持にOBを送り込みたいというだけのことである。

そうなれば適正な金利水準の維持すらできなくなる。自民党は最近でもここ数年、何回か日銀へ政治介入して権力を濫用してきた歴史がある。05年12月とお06年3月には量的緩和の継続を迫っているし、07年2月の利上げの時にも日銀に圧力をかけて中止させようとしている。福井前総裁は、事あるごとに日銀は独自の判断をしたと、わざわざ強調してきたことは、まさにこの政府側からの圧力が存在していたことを、如実に表明していることと同じであろう。

 長期金利が上昇すれば国債の利払いが増えるので、利上げには圧力をかける。あるいは長期国債の買い切りを迫る。こうした自民党や政府の日銀への圧力の裏では、今回の総裁人事と同じように財務官僚が指導していることは容易に想像できる。こうして自民党財務省指導の金融政策の結果、極論すれば国民のものになったはずの金利300兆円強が失われてしまった。
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