水着が泳ぐ

水着が泳ぐ
 北京五輪の開幕を2ヶ月後に控えて、いまだに水着論争をしている日本水泳連盟の決断の悪さに、改めて連盟とスポーツ用具会社の癒着構造を見る思いがしている。スポーツに道具の進歩は欠かせないし、そこには商業主義が入りこむことも当然である。サッカーにしろ陸上競技にしろ、これまで日本製の道具の素晴らしさばかり宣伝されてきたし、事実そうであったのであろう。


 もっとも道具の影響が少ないと言われていた水泳競技に盲点があった。世界の頂点にいる選手には、コンマ何秒の時間で勝負が決まるのであるから、英国製の水着で続出した日本記録を前にして、水連もスポーツ用具社もシャッポを脱がなければならない。これで選手たちも心おきなく五輪に参加できる。あとは水着以外のところで、どれだけ選手が実力を発揮するかだけの問題である。

 スポーツ道具の進歩はこれで終わらない。まだまだ記録の出る用具が開発されていくであろう。ただし、素人にはどの水着を着用してもあまり関係はない。それでも、マニアは道具に凝る。管理人も昔、ゴルフに凝っていたときには、できるだけ良いというクラブを使ったが、結果はあまり変わらなかったことを経験している。
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