環境サミット

環境を考える サミットを前にして
 来週月曜日から開催される洞爺湖首脳サロンを前にして、今一度、地球環境問題について整理してみたい。現在、炭酸ガス排出が地球温暖化の原因として認められているが、これに対しては異論も出されていることだけは、初めに指摘しておきたい。
 
 まず、生物多様体については、できるだけさまざまな種類の生物が保存されてことが重要であり、環境保全を考える一つの科学的な根拠となっている。炭素も含めて、すべての物質の総和は地球全体としては一定で、その状態が変化しているだけである。人類が約1万年前に農耕牧畜などの活動を始めて以来、モノやエネルギーの状態を変えてきたことで、平衡状態を保ってきた地球のシステムに変化を与えた。地球が本来保ってきた自然循環の平衡を乱さないことが環境を維持する基本であろう。

 経済学などの社会科学的立場で見ると、文化や文明を論議する問題は地球環境が破壊され始めている現在、人間としての尊厳を保ち、自由と平等を背景とする中では、もはや成り立ち難くなってきている。1972年のスエーデンでの国連環境会議以来、多くの会議が開催され、その中から比例炭素税の概念が提案されてきた。これによると、炭酸ガス排出量は1人当たりのGDPに比例することが解明されて、国ごとのGDPに比例した税金を集めて、環境改革に投資をするものである。

 人が人らしく生きていくために必要なもの、即ち、環境、医療、教育、食糧、エネルギーなどの社会的な財を人類の共通財産として守っていかなければならない、これらを市場原理に任せる資本主義の限界すら見えて来ている。そうなると炭酸ガス排出権取引では、環境問題の解決にはならないことも明記すべきであろう。

 近代合理主義のデカルトなどが唱えた自然を征服して利用すべきとの思想は、完全に破綻している。自然はできるだけ手を入れずに次世代へ受け継いでいく文化を考えなければならない。自然を尊重する技術革新を続けながら、環境、地球、生命全体の調和を生み出していくことが求められている。

 洞爺湖サミットで論ぜられるべきことは、炭酸ガスの数値、排出量取引、各国のエゴの主張ではなくて、地球や宇宙の環境問題について哲学的で文明論的な思想でなければならない。これこそ、洞爺湖サロンに相応しいテーマであろう。
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