品格を語る人の品格

品格を語る人の品格
 ここのところ新書版で出版される品格ものがベストセラーとなっている。著者はよほど暇なのか大学の先生が多い。品格ものの代表格である国家ものと、女性ものを書いている二人はともに女子大の先生というのも共通している。品格ものをわざわざ買って読む人は、品格が自分にはないので、なんとか品格を身につけるために勉強しているのであろうか。近所の図書館で読んでみると、著者の自慢話とあまりにも当たり前のことしか書いていないので驚いてしまう。
 
 国の品格の話は日本らしさとか日本の伝統などということに及び、日本はそれ以外の国とは違うことが重要で、それを失っては外国からは馬鹿にされるという結論に導かれる。特別に新しいことが書かれているのではなく、普通の人が普通の生活で体得していることなのであるが、言葉のはしはしに、著者が体験したことから、自分には品格を語るだけの資格があると述べているのが気になることである。

 女性の品格も著者の発想は同じで、自分はエリートで他の女性とは異なり、女性はかくあるべしとのお説で溢れている。基本思想はジェンダーフリー、即ち男女は同じであるべきという著者が総理府時代に作成した男女共同参画がその骨子となっている。自分の原則を押し付け、夫は仕事で妻は家事という役割分担を否定して、家事労働の価値を低いものとし、専業主婦の人権を侮辱した内容である。

 この著者の問題は、肝心な所にくると、その筋の専門家に任せるという、いかにも官僚的な答弁になることである。人前で自分のことを語ることは品格がないと言いながら、それとなく、自分の育ちの良さや家族を語っている品のなさである。

 そもそも国、男、女、親、子どもなどが品格という言葉で表わされるような単純なことではないはずである。女性がすべて、この本で書かれているような人になったならば、魅力のない女性ばかりの国となってしまう。
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