平和の祭典

武装兵力に守られた平和の祭典
 人種、宗教、政治などによる差別を厳しく戒めている五輪憲章に反して「広範な大衆を動員し、五輪の安全を確保する人民戦争をしなければならない。不穏な兆候は初期段階で発見して除去せよ」との毛沢東時代の人民戦争論にならって秩序維持の指令を出さなければならないことが、平和の祭典の裏の顔である。
 
 これに対して表の顔では「私の夢と人民の夢は一致している。人民の願いを尊重し、人民の利益を守っていく」との調和路線を国家主席が協調している。五輪の開会式でも、中国社会に巣くっている病根をいかにして民族の歴史で覆い隠そうとしているかが、痛いほど理解される。

 すべての根源は共産党一党独裁にあることは明白である。平和、友好、連帯、フェアプレー精神などどれをとっても、現実の中国社会とは相いれないからである。30年になる改革開放の動きが、これを契機として、中国人が自由と民主の重要性を理解する機会となり、新生中国が誕生することとなれば今回の平和の祭典も意義のあることとなるであろう。

 北京五輪後、2009年6月の天安門事件20周年、2009年10月の中国建国60周年、2010年5月-10月の上海万博などの引き続く重要行事で、五輪の成果が検証されることとなるであろう。単なる一過性の行事ではなく、過去から未来への分水嶺となる、新しい中国の誕生を占う試金石の役割だったと期待したい。
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