敗戦記念日

新たな日本の始まり
 当然のことながら年々、第二次世界大戦と何らかの形で関わった人々が少なくなっていく。すでに国民の75%が1945年以降の戦後生まれとなっている。管理人は幼少のころ中国東北地方の大連で生まれて何年か過ごしているので、少数派に属している。 

 上空を豆粒のごとくに飛行しているB29の機影、死体を大八車に無雑作に乗せて運搬していたこと、瀋陽奉天)の家にやって来たソ連兵のこと、トラックからばら撒かれる黒パンのこと、日本への引き揚げ船の出る大連まで貨車に乗って行ったこと、日本への船中で出された食事のまずかったこと、九州の佐世保港で初めて接した日本の山々の緑がまぶしかったことなどをいまだに記憶の片隅に残っている。

 奉天よりもさらに北には約50万人という開拓民として渡らされた日本人が荒涼とした大地に取り残されて、北からはソ連軍に追いまくられ、現地住民からは投石され、その4割の人々が消えてしまったという。これは参謀本部も含めて日本軍が敗戦と同時にその家族も含めて、彼らだけで日本へ逃亡したからだ。

 だから、現在の平和と繁栄が日本のために戦った日本軍のおかげであるという自民党の政治家の発言がいかにでたらめで空虚なものであるかが理解される。そして、今でもこれと同じように、役に立たなくなったら切り捨てるという発想が残っているような気がして恐ろしい。

満州からの生還1941-46:文庫本によつ歴史物語(3)
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