祭りの後で

政治的五輪の終焉の後で
 人権抑圧国家が徹底した報道管制のもとで、平和の仮面をつけて実施した1936年のナチスドイツ五輪に関する報道が欧米では目立っている。ユダヤ人迫害に対して、米国を中心として激しいボイコット運動が起きたが、IOCは政治的中立を名目として軍事独裁政権による平和の祭典を掲げて、反対運動を封じた歴史である。この五輪の成功をもととして、不安定だった国内体制を引き締めて、ヒットラー体制は国民総動員の基礎を確立して周辺諸国への侵略を開始した。


 世界各地で問題を引き起こした聖火リレーは、ベルリン五輪開催でナチ宣伝省が生み出したものであることを知っている人は少ない。記録には残っていないが、この時にも、反対運動が予想されるチェコ領内通過では、聖火は警察などの親衛隊に守られていたという。

 ナチスドイツと現在の中国とでは、政治経済社会体制では大きく違うことは認めるが、こうしてみると、独裁、人権、聖火、威信、政治的利用など多くの類似点の存在を否定することはできない。北京五輪決定前に、中国政府は報道の自由や人権擁護を認めていたはずである。圧倒的な開会式と閉会式の演出と中国人選手の活躍で、これらの事実を吹き飛ばそうと意図していたように思える。

 NYタイムズでは、ポスト五輪で、中国は政治改革を進めるのか、それとも現行体制維持への確信を深めて、半ば閉ざされた超大国としての地歩を固めていくのかと疑問を出している。この書き方からは、ますます報道管制を徹底して、少数民族抑圧方向へ進むと予想しているようだ。
*「ベルリン・オリンピック1936ナチの競技」D.C.Large著 白水社 \3500.
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