井戸の中の政策論議

霞ヶ関一官僚の囁き
 総裁選挙のお祭り騒ぎを演出したのが首相の最大の功績と後世に伝えられるかもしれない。公文書関係の有識者会議で「100年いや1000年までも、今回の辞任が伝えられるように」と挨拶していたことは、このことを言っているようだ。自民党の議員と言えば、ふだんは取り巻き連中、後援会、地元の関係者、贔屓の企業関係者などと毎晩のように料亭や有名レストランで会合を開いている。だから耳学問だけで、自分で勉強する機会はないが、総裁選となれば急に政策、政策と連呼するのもおかしなことである。
 
 構造改革とか経済財政政策とか言うが、これらについて具体的に政治家から出てきたものは過去にほとんどない。最近では目立ったものは、郵政民営化であるが、これも霞ヶ関からはバブルの頃から、このままでは郵政が破綻するというデータを出していた。これに目を付けたのが、当時一匹狼と言われていた小泉氏で、自民党に巣食う郵政族なる一派を根こそぎにするには郵政民営化しかありえないと睨んだのである。

 これが政策と言えばそうかもしれないが、彼は郵政民営化と絶叫するだけで、これについての全体像を自分で作成したこともない。それから後はすべて霞ヶ関の目を付けた官僚に作文を書かせていただけである。自民党をぶっ壊すと叫んでいたが、こうしないと彼が自民党という古い政界で頭を出すことができなかっただけだ。

 今回の論争の眼目は経済財政であるが、財政再建を後回しにして金をばらまき、足らないところは増税するという増税派と経済成長で国全体の税収を上げることを狙いとする上げ潮派に分類されている。ここで忘れてはならないことは、15年前には、世界第2位であった一人頭のGDPが現在は18位まで後退していることである。ここまで国力を弱くした責任は政権与党の自民党の政策にあることだ。

 霞ヶ関には様々な頭をもった官僚群がいるので、政策のメニューはいろいろと揃えることができている。国という船のエンジンは強力であるが、舵は与党政治家に任されている。かじ取り役が国の将来を考えるのではなくて、自分たちの権益、即ち、金儲けや政権の維持、選挙活動に力が入る方が優先している。現在、まだ何とか先進国の仲間にいるようであるが、これは政治の力ではなくて企業の力である。

 こうして霞ヶ関から永田町を見れば、自民党の総裁選挙などはコップの中の争いとしか見えない。政策論争とは言うが、官僚の準備した政策というメニューを餌として、同じ穴の狢が井の中から誰が一番に這い出そうとしているかである。野党の方の政策には、官僚は関係していないから、政治家個人がそれぞれに生み出そうとしている。この際、対抗できる政策を堂々と出すべきであるが、官僚の提案する以上の政策を出すのは難しい。

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