杜撰な政策

杜撰(ずさん)なこと
 「最善の措置と思える詳細な政策を頻繁に読み違えるようなことは、これまでの首相には考えられない未曽有のことであるが、このようなことを踏襲してはならない」という短文で、措置を「しょち」、詳細を「ようさい」、頻繁を「はんざつ」、未曽有を「みぞうゆう」、踏襲を「ふしゅう」と読むような人を探すことは難しいことであろう。


 地名や人名では誰でも読みにくいものは多いから、読み間違いは日本人なら誰でも経験していることだ。このような良く使われる普通の漢字が読めなくても、ものの道理が読めれば首相は務まると思う。然しながら、このような確信犯的な誤読を耳にすると、どうしても教養や頭の程度を疑わざるをえない。

 人には様々な力がその成長とともに付随してくる。思いつくだけでも記憶力、独創力、判断力、推理力、計算力、忍耐力、思索力、政策力、人間力、健全力などが挙げられる。これらの力は小学校からの勉強、家庭での新聞や書物を読むこと、人との会話などを通して養われてくる。キーボードからの入力が普通な状態となっている人には、読めども書けない漢字が増えているのも確かである。

 僅かな間に、これだけ誤読の言葉が出てくると、これだけでは終わらないであろうと推察される。このようないい加減で杜撰な頭から出てきた政策が給付金であったと思うと、国民としてやりきれない気持ちである。これでは「とてつもない日本」ではなくて「とんでもない日本」となってしまう恐れを抱いてしまう。
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