大きな政府

大きな政府の時代か
 グリーンスパン氏の「100年に1度の金融津波」とい曖昧な言葉が飛び交っている。わが首相も得意になって、この言葉を発するが、それがどうしたと思ってしまう。現在は1929年の大恐慌とは様相はかなり異なっている。情報時代であるから、良い情報も悪い情報も瞬時に世界を駆け巡るし、国際間の協調体制もかなり早い。


 当時、米国が財政出動に乗り出したのはクラッシュから4年もたった1933年に民主党のFDR大統領が就任してからであった。大きな政府の始まりであった。理論的な背景はケインズが構築していた。

 この大きな政府も、第二次大戦後の繁栄を経て、1970年代に入り、インフレと失業が併存するスタグフレーションを経験して、やがて巨額の財政赤字と産業競争力を失ってしまい、1980年頃にはイギリスは英国病、アメリカは産業競争力喪失に見舞われてしまった。ここで登場してきたのが、保守党のサッチャー首相であり、遅れて共和党レーガン大統領であった。

 この二人は徹底して規制緩和政策をとり、小さな政府を掲げて市場原理主義と自由競争社会を構築した。この理論的背景は、ドイツのハイエク教授と米国のフリードマン教授であった。

 大きな政府でも巨大と付くのは、計画経済の社会主義国であったが、20世紀の終わりには崩壊して、市場原理に基づく資本主義の勝利と思われた。資本主義経済は適度なバブルの形成と崩壊を繰り返しながら、健全に発展し続けるという誰もが頭で描いていたモデルの崩壊が露呈してきた。この原因は住宅ローンの崩壊と言われているが、端的には人の欲望には際限がないが、資源は有限であることからきているのであろう。

 米国では、タイミングよく小さな政府の共和党から大きな政府民主党へと政権交代が行われるが、果して、これまでのように単純に大きな政府という思想だけで、この難局を切り抜けられるとは思えない。

 政府の大きさの議論はこれ以上しても意味がなくなり、市場原理主義のもとで、人間の欲望にどのような規制の枠をはめるかにかかっているように思う。「恐れるべきことは、恐怖それ自体だ」というFDRが大統領就任演説で使った言葉は現在でも生きている。
http://iiaoki.jugem.jp/