太った猫

太った猫とシティーボーイ
 とうとうFRB政策金利をゼロにした。バーナンキ議長は日本の失われた10年に関する研究家であり、絶対に日本のような失われた10年の再現を許さないという意思表明である。今は何が何でも、ウオール街の欲の皮のつっぱった太った猫を救い、鼻をつまんでも緊急対策を打ち出し、バカ者どもを支援することが、痩せ衰えたシカゴやデトロイトのネズミどもを救う唯一の道と考えているようだ。


 太った猫という英語での表現は、特権階級の富裕な人とか、影響の大きい資産家を意味している。この言葉を使った記事はNYタイムズに先日掲載されていた。英語では、これに対して痩せた鼠を対比させるのが適当かどうかは分からない。

 NYのウオール街に相当するのが、ロンドンのシティーである。ここの投資銀行で働いていた金融マンが、金儲けだけの人生に疑問を感じ、退職して書いた本が「シティーボーイ」である。年俸360万円からスタートして、3年後には2000万円稼ぎだすためには、さまざまなギャンブルのような手法をつかい、インサイダーすれすれの取引き、虚偽情報の流布などによる株価操作など、違法行為すれすれの行為を平然と行う度胸が必要と記載している。

 資本主義社会において、自由主義経済の場を欠かすことはできないが、人は誰でも強欲さや利己的という裏の面を持っている。地球は有限であるが、人の欲望は無限であることから、すべての問題が発生してくる。マックス・ウエーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、禁欲的なプロテスタンティズムの天職、倫理、資本主義精神の関係を論じている。今改めて、この薄い本を眺めてみた。
http://iiaoki.jugem.jp/

*G.Anderson:Cityboy Hachette Audio (2009/2/5) \2102
http://www.amazon.co.jp/Cityboy-Geraint-Anderson/dp/1405506903
Max Weber :The protestant Ethic and the Spirit of Capitalism  岩波文庫