英語教育

英語は英語で学ぶ
 言語は会話が元になって発達してきたものだ。聞けない、話せない、書けないという現在の英語教育は全く意味がない。高校の新学習指導要領案は「英語の授業は英語で行うことを基本とする」と明記したことは当然である。しかしながら、英語国民と言っても、英国、米国、豪州、インド、カナダなどさまざまな英語があり、どの英語を基本とするのか問題である。

 中高の英語の先生で、どの英語でもいいが、まともな発音で、ある程度会話のできる先生は10%にも満たない現状では、文科省が「まず教員が自ら積極的に用いる態度を見せるべきだ」と説いても無駄なことである。

 現場の分かっていない霞ヶ関の役人が、理想を述べても、絵に描いた餅にすぎない。これまでにも、英語教育について、何回か(608,871,2580)問題点について指摘してきた。ある中学の英語教師は、NY帰りの帰国子女に対して、発音を日本式に訂正させたという。彼らも心得たもので、日本ではこのように発音するのだなど順応するそうだ。

 できもしない方針はやめて、むしろ逆説的ではあるが、読む、書く、文法に集中して言語教育を進めた方が良いのではないかと思う。英語を使って仕事をしなければならない人は、多くても100人に一人ぐらいであろう。

 将来、使いそうもない語学教育に投入する時間と資源を数学、物理などの基礎教育に向けた方がはるかに国策にかなう。英語や他の言語を使って仕事をする人は、基礎的な知識さえあれば、集中的に半年ぐらい口と耳を使って会話する勉強をすれば十分に役に立つはずである。
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