首相のサハリン訪問

サハリン訪問の罠
 1951年のサンフランシスコ講和条約で日本はすべての権利や請求権などを放棄した。しかし旧ソ連がこの講和条約に参加していないため、北方四島を除く千島列島と南樺太国際法上の帰属はロシアとの間では「今も未決」という立場だったはずだ。1月末にロシアの大統領からの連絡で、首相は資源開発への協力関係の構築を通じて、北方領土問題の進展を図るためにサハリン訪問を決断したようだ。


 国内の政治的立場が悪くなると、外交に走るのはどこの国の政治家でも同じであるが、このような状況でのサハリン訪問は日本の首相として、戦後初という形容詞がつくように、ロシアに誤った外交姿勢を伝えることになりかねない。

 明治38(1905)年の日露戦争後のポーツマス条約で、北緯50度以南のサハリンが日本領となり、サハリンは、日本では樺太(からふと)と呼ばれていたが、旧ソ連の一方的な侵攻で占領された地である。首相のサハリン訪問を前にして、ロシアは早速に外交戦を展開して、北方四島に対するビザなし訪問に待ったをかけたり、日本海蟹工船を拿捕したりして、交渉を有利に展開しようとした。

 中国や韓国と同様に近隣諸国との経済分野を中心とする関係構築は重要な課題であるが、これまでのいきさつも考えずに、ロシア側の招待に喜んで乗り、いつものように技術や金だけ取られて、北方四島に対しては空手形だけ手にする屈辱外交になるのが落ちであろう。北朝鮮拉致問題北方四島については先方が譲ることはないと考えて、外交を進めなければならないと思う。

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