時代の変化に取り残されて

シンボルの変化....



 ウインドウ95の発売されたころ、デジタルとか情報という名をつけた学部や学科が雨後の筍のように誕生した。それからわずか10年あまりであるが、すでにこの名前では学生を集めることができなくなった。日本だけではなく、米国をはじめ先進国なら事情は同じようだ。






 管理人が大学を出て就職したころは、車を持つことが憧れであった。独身寮の傍にあった自動車学校に仕事が終わってから競って通ったものだ。まだ一人で車を持つことができなかったので、寮の仲間数人が資金を集めて中古車を購入し、休日になると朝早くからドライブに出かけとものである。故障すれば、分解して自分たちで修理することまでしていた。....




 結婚して数年すれば、マイホームを持つことが目標となり、これもローンを組んで可能となった。ところがパソコン、車、家などは最近の若者にとって魅力のあるものではなくなってしまった。それは消費に対する価値観の変化である。また働くことに対する意識の変化も顕著で、人生における絶対的なものというものでもなくなっている。....




 永田町や霞ヶ関の住人にはこの変化が見えなく、従来の価値観でしか政策を考えられないために、いまだに議席の保持、既得権益の維持と天下り策の確保にきゅうきゅうとしている状況が続いている。減税するから車や家を買えとお上がいくら叫んでも、若者は動かない。パソコンに至っては、いまや携帯電話というモバイル機器にその地位を譲って行く動きである。時代は猛烈な速度で変化し続けている。いつまでもマンガ頭ではこの国は立ちいかない。



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