公務員改革

改革はどのように葬られたか


 官僚の高笑いが聞こえてくるようだ。あれほど騒いだ改革は豚インフルとGWで忘れ去られている。これで当分は天下りも渡りも安泰になった。国家公務員制度改革の本丸は、官僚の人事権を官僚から取り上げることである。形式的には各省庁の人事権は担当の大臣が持っているが、実際には官僚から来た名簿に印を押すだけのことである。


 日本国を会社とすれば、株主は国民であり、国民から選挙で選出された議員からなる政府という取締役会が、従業員である官僚の人事を支配して経営戦略、即ち国家戦略に沿った最適の配置をすることは当然のことだ。



 官僚が自ら自分たちの身分を保障する官吏制度は明治時代に確立したが、この仕組みはGHQでも変えられず公務員制度と名を変えただけである。各省官房長による天下り斡旋を禁止して、人材バンクに一元化するという案は、しぶとく根付いている年功序列制度の崩壊を含むもので、官僚側には耐えられないものだ。



 官僚にとって幸いなことに麻生内閣ができて、ほぼ官僚側の勝利になったことだ。官僚は政府にいる過去官僚と言われる霞ヶ関上がりの議員をたきつけて、猛烈な抵抗運動を展開した様子は、今年の初めに人事院総裁やそれを受けた官房副長官が前面に出て来たことから、問題のありかを皆が知るところとなった。



 内閣人事局構想ではこの局長ポストは、3人いる官房副長官のうち、官僚上がりの副長官、即ち官僚のトップ中のトップが兼務することで閣議決定されている。もはや改革の名に値しないもので、公務員制度改革は葬り去られてしまった。


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