政治の流れ

日本の方向決める構図

 民主党の党首が交代した。これで直前に迫った衆議院選挙の自民党民主党の顔が決まった。第二次大戦後の1946年から54年まで首相を務めた日本自由党吉田茂(1878-1967)氏と、その後を継いで1954年から57年まで首相の任にあった日本民主党鳩山一郎(1883-1959)氏のそれぞれの孫世代の対決となった。この間、1955年11月に両党が合同して自由民主党が結成されて、保守合同と言われる55年体制が完成した。

 1993年8月に細川政権の誕生で、55年体制は終了したが94年4月には、再び55年体制へ復帰した。この間を除いて半世紀にわたる自民党支配は、霞ヶ関の官僚制度と持ちつ持たれつの関係を継続して、あらゆる日本のシステムを国民のためというよりは、霞ヶ関と永田町のために作りあげてきた。


 このシステムの疲労がたまりたまって、年金、福祉、医療、教育、労働などの国民を支えなければならない制度の崩壊が始まっている。高度成長期のような右肩上がりの経済状態では、若者も含めて国民は前途に希望を持っていたし、何かチャンスが巡ってくるという期待と夢があった。1990年以降、経済が停滞しすべてのシステムが制度疲労を起こし、未来への望みが薄くなってしまった。




 これを打開するには、官では民への奉仕の役人精神を取り戻し、独立行政法人で肥大化したシステムを解体しなければならない。民では老朽化した産業構造を再編して生産性を上げ、創造性を大切にする企業風土を構築することしかない。

 古い組織や座席を取り払い、意識と実力のある人が頑張れば報われることが重要である。巨額な財政赤字を減らし、教育や福祉への投資を増やし、老人がいつまで椅子にしがみつく悪弊をなくし、安定した低成長社会を実現することが日本の進むべき方向であろう。

http://iiaoki.jugem.jp/