五輪開催地

五輪騒動の跡始末
 「久しぶりに清涼感を味わった」と都知事はコメントしたが、昨年からおよそ300億円も税金を使った五輪誘致活動に対する敗戦の弁としてはいかがなものか。昨年の北京五輪の余韻が冷めやらぬIOC総会であるから、アジアには来ないはずで、当初から負け戦はわかっていたはずだ。都民を愚弄してはならない。いくらコンパクトな競技場配置、財政の健全性、治安の良さや宿泊施設などの都市整備、公共交通システムの効率の良さなどを訴えても、理念なしのお祭り騒ぎだけで、東京開催の大義名分はなかった。

 東京が開催理念として前面に打ち出した環境についても「IOCは国連じゃない」ことは明らかだ。「フルーツにならなかったけど、苗を植えた。どう育てるか積極的に考えていくべきだと思う」と語っているが、1988年のソウル大会、2008年の北京大会から類推すると、北京五輪から20年後の2028年東京開催が適当である。今回の無理した立候補は、知事が再選を狙うことと、新銀行東京、築地移転問題などの失政を覆い隠すための打ち上げ花火であったことにすべてが起因している。だから、開催支持率が50%をあまり越えることはなかった。

 それにしても首相はわずか5分間の演説のために、専用機でコペンまでムダ骨を折った。これで知事には絶好の言い訳ネタ「首相まで来てくれたが駄目だった」を提供した。五輪と比べると、国内政治のほうが、はるかに重要なはずである。政治主導で大臣、副大臣政務官とも腕まくりで予算の仕事に追いまくられているさなかである。これからは、もう少し慎重な判断を要求したい。
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