五輪誘致の愚挙

平和の祭典とは

 五輪が平和の祭典などという幻想は捨てたらどうか。昨年の北京五輪が平和の祭典と思う人はいない。あるいは平和に貢献したなどと評価できるものではない。環境を売り物にした東京でも、五輪は環境とは関係ないという意見もあったように、核廃絶は五輪ではなく国連のテーマと言われるであろう。オバマ大統領のノーベル平和賞に悪のりしたとしか思えない広島と長崎市長の名乗りである。

早速に広島県知事は「オリンピック招致表明、あれフライング」とコメントしている。さらに、「現時点では、広島市は県の協力をまったく必要としていないとしか考えようがないですね」と冷たく言い放っている。五輪開催はIOCにとって、貴重な金の稼ぎ場所となっていて、まずは金の乏しい都市、あるいは財源の裏打ちのないところには票は集まらないのが常識である。今回、シカゴがそれに当たり、大統領の人気だけでは難しいことを証明した。


確かに、オリンピックの大義名分は平和の祭典なのだが、実体は誰しも考えるように商業ベースに乗った夏冬合わせれば2年に一度の世界的なイベントで、IOCの収益源にほかならない。日本のマスメディアにとっては、平和の祭典どころか、自分達が放映権を取得した種目で「金メダル!金メダル!」と叫び、視聴率アップに躍起になっているだけだ。また、開催地には祭りの後に、巨額な赤字が残されることも覚悟しなければならない。長野市は未だにそのつけを払い続けている。広島市だって、アジア大会のつけがまだ残っているではないか。

 広島と長崎の人たちにとって、五輪招致が核廃絶の道となるのではなく、これまでと同じように地道な活動こそオバマ大統領の思いにかなう道であろう。東京で都知事が証明したように、五輪招致は都道府県の長のものではないし、土建屋のものでもなく、住民のものでなくてはならない。まずは両市で、五輪誘致可否の住民投票をしたらどうか。
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