無駄とは何か

無駄なこととは何か
  無駄を排除して予算を有効に使うために、自民党政権時代に作成した予算案の事業仕分け作業が進んでいる。ムダ無駄というが、ムダな事業とは何を指しているのであろうか。先日のブログで、予算の3分の1ぐらいは無駄なものであろうと、腰だめで書いたら、当然のことであるが反論が来ている。これに対して反論を試みるつもりは毛頭ないが、予算なるもの実態を考えてみたい。
*会場:国立印刷局市ヶ谷センター

  普通に働いて生活している人は、その地域でごみ回収など或る種の便益を受けているし、国からは日本国民として、身分保証などの恩恵を供与されている。これに対して、各個人は所得税をはじめ、さまざまな税金を支払う義務を負っている。憲法25条に定めるように「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ことに対して、30条に定める通り「納税の義務を負う」こととなる。


  民が支払った税金に対して、しかるべき便益を享受しているとの実感が伴う事業については、誰も無駄なこととは言わない。ところが、仕分け事業の議論を聞いていると、巨額の費用を投じているにしては、その便益を受けている人が極めて少ない事業があまりにも多いことに気がつく。仕分けの舞台となっている国立印刷局の市ヶ谷センターなどという施設の存在を知っている人は、ほとんどいなかったであろう。10億円の土地に5億円を投じて作られたそうだ。職員の健康増進の施設という。

 せめて1億人のうち100分の1ほどの人が該当するのであれば、あまり問題はないと思う。また国立女性教育会館の話が出ていたが、女性全員がそのことを知っていて利用するのであれば問題はないが、殆どの女性はその存在すら知りえないし、利用したことのある人は年間数千人程度というから、全く話にならない。


  管理人が感じている無駄な事業というのは、せめて国民の1000人に1人位は、その事業を知っていて、何らかの便益を受けているもの以外は、すべて無駄な事業ではないかと考えている。そのような基準で国の事業を眺めれば、95兆円のうち3分の1ぐらいは必要のない無駄なこととなる。要するに、ピーターの法則に従って、国でも地方でも役人たちは、仕事のための仕事を作り出していることとなる。そして予算というものは、作成する人は削られ代を含めて算出するのは普通と思う。
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