ゆとり教育という大罪

ゆとり教育はゆるみ教育

   科学技術予算が仕分けのテーブルにのり、これまでの無批判に予算化されてきた聖域に一石が投ぜられた。もっと重要なことは、1980年代半ばから始まったゆとり教育による教育の破壊である。全国の高校で物理の履修者が30%にも満たない現状で、何が科学技術の予算を減額してはならないのかと言いたい。ゆとり教育の弊害はPISAの調査に確実に現れ、2000年のデータでは、これまでトップクラスだった算数と理科の成績が下位に転落した。2007年の結果では数学に至っては第10位まで落ちてしまった。これを象徴する教育が「円周率は3でよい」としたことだ。
  

   江戸時代から庶民の初等教育の基本は「読み、書き、そろばん」と決まっているのだ。これを称して知識偏重などと批判した教育者、文部官僚、日教組は、それこそいま法廷に立って懺悔すべきである。小学校低学年では、同じことを繰り返して暗記させるとが大切だ。詰め込み知識に代わって、提唱されたのが個性重視であった。個性などは教室で学ぶものではなく、家庭や社会でそれぞれに遊んだりスポーツをしたりしながら、身につけていくものである。

   まさに「ゆとり」教育は「緩みぱなし」教育になってしまった。科学技術立国を叫ぶのなら、幾何、物理、化学の基礎は高校では必須科目とすべきである。これに対して語学教育などは必要な時に短期間に集中して学べば十分である。ましてや大学における語学教育は時間と労力の無駄以外の何物でもない。お隣の中国や韓国に見習う必要はないが、追い越されるのはGDPだけではなく、科学技術に対する研究力や技術力だ。これは予算の問題だけではない。
http://iiaoki.jugem.jp/