学問は大切か

耳学問で成功する秘訣
  先生の講義が聴ける学校に行って勉強をすることを言うのではなく、学校には行かなくても、耳や目から入って来る情報を捉えて、自分で生き方や仕事のやり方を構成していくことを指しているようだ。いくら学校で勉強ができても、学者、経済人、政治家などとして成功できるとは限らない。歴史的には、耳学問だけで成功した人の事例は枚挙にいとまがない。



  

   初めて中国全土を統一した秦の始皇帝が紀元前210年に没した後の乱世を制した前漢の高祖劉邦は、農民出身の低級卑賎の皇帝であった。彼は儒者すなわち学者を嫌い、学習を馬鹿にしたが、彼よりも能力的には優れていた項羽を破ることができた。項羽は「剣は1人の敵で、学ぶに値しない」と言って、万人を倒せる兵法を研究していたが、馬上で過ごした劉邦に敗北した。どうしてそうなったかと言う問いは、中国では繰り返し語られてきたことだ。


  司馬遼太郎氏の小説「項羽と劉邦」によれば、劉邦の良さは人間的な魅力が大きいということだ。彼には類のない可愛気があり、このことは稀有なものとして重視してもよい、と書かれている。また、宮城谷昌光氏は「項羽は神を信じず、己を信じすぎた。己が万能で天地さえも支配できると言う者には、天地の神は支配権を与えなかった」と解説している。学問をするなら、中途半端ではなく、本気になってしろと言う意味のようだ。



  それでは学問はなくても、才能と実行力に優れている天才は人の幸せや安泰を保証するのであろうか。これに対して、徳川家康が答えを示している。源義経織田信長ほど智慧や才覚に恵まれた武将はいないが、二人ともその最後は悲劇に巻き込まれた。智慧も才覚も我執で、慈悲の徳が足らないと、周囲の者を踏みつぶしても我意を通そうと馬に鞭打ち、他人を蹄にかけすぎるからだと、家康は伊達政宗との問答で答えている。
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