親日の国

親日
  先日、トルコ、ポーランド、スペインが親日国と書いたら、どうしてかとのご質問が来ている。これは一般的には認識されていないので、管理人の知る限りにおいて紹介してみたい。まずは、記事の基になったポーランドから始める。ポーランド共和国波蘭と漢字表記があるが、西欧諸国とロシアの間にある人口3500万人の国である。中世には王国だったが、18世紀末には消滅し、第一次大戦後に独立を回復した。その間、独立運動をして捕えられたポーランド人が15万人ほどシベリアで抑留生活をしていた。

 

  独立で帰国できるはずであったが、ロシア革命が起きて、シベリア鉄道が閉鎖されてしまった。ポーランド政府は国際社会へ救済を依頼したが、戦後の混乱期でどこも手を上げなかった。この時、救済に乗り出したのが、日本の外務省と赤十字社であり、ウラジオストックから敦賀経由で、主として児童を中心として合わせて1000人ほど大阪と東京で引き取った。彼らはやがて、米国経由で祖国へ帰国したという。1995年の関西地震の時に、ポーランドはいち早く救援隊を日本に派遣したし、震災孤児をワルシャワに招待している。


  トルコは地理的に黒海の地中海への出口にあり、歴史的に北から絶えずロシアの圧迫を受けていた。1905年に日露戦争で日本がロシアに勝利したニュースはいち早くトルコに伝えられ、一部ではお祭り騒ぎまで起きたという。というのは、1890年にトルコの軍艦が和歌山県沖で座礁した時に、住民が必死になって救護活動したことがトルコに伝わり、日本への関心が深かったことが、その基となっていた。1985年のイラクとイラン戦争で、危険で日航も躊躇していた時に、テヘランに取り残された日本人200人を救助してくれたのはトルコ航空であった。今年は友好120年ということで、友好祭りが企画されている。


  スペインの南西部にサラマンカという町があるが、この町の傍にはハポンという姓が残っている。これは伊達政宗がローマに派遣した支倉常長と共に渡った内の数名の日本人が、ここに住み着いたからと言われている。このことは小説「ハポンさんになった侍」で取り上げている。スペインの南部地方に行くと、日本人と言うことだけで大歓迎された経験を持つ人も多いと思う。さらに、近年、中世に作られて、鳴らなくなっていたサラマンカ大聖堂のパイプオルガンを日本人の辻宏氏が、大修理をして回復させたことでも日本の評価が高まっているという。辻氏の故郷の岐阜県にはサラマンカホールができていると聞く。
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