日米関係の観点

日米関係の濃淡
  1941年12月初めに、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃したニュースを聞いて、時の大統領ルーズベルトは小躍りして喜んだという。何故ならば、中国をはじめアジアに米国の経済的な権益を拡張しようと思っていたが、極東で勝手な振る舞いをする日本には手を焼いていたからだ。これで、国際的には大手を振って日本を攻撃することが可能となったし、米国民の愛国心を奮い立たせることができるからであった。

  

  その後の日米関係について、誰でもして知っていることなので、ここでは詳細は省略する。1945年8月の終戦以降、日本に対して米国の採ってきた政策は首尾一貫していて、冷戦の相手である旧ソ連に対する最前線の基地としての位置づけである。また、日本の保守政権も唯々諾々とこの考えを受け入れることで、米国の傘のもとで世界第2の経済大国としての地位を築くことができた。

 
  この間の日米関係は親密な同盟関係というよりは、米国の第51番目の州として軍事的には隷属関係にあったし、今でもそうである。このことは歴代の総理大臣の様々な発言からも否定はできない。典型的なものは1982年から87年まで首相であった中曽根康弘氏のもので「日本列島を敵性外国航空機の侵入を許さないように周辺に高い壁を持った船のようにする」という不沈空母発言である。

  米軍基地に協力する形で、日本の自衛隊も発展し、その予算はGDPのほぼ1%の状態を1955年から続けてきている。最近ではGDPが落ち込んでいるが、それでも500兆円として、国防予算は5兆円にもなっている。これは米国、中国に続いて世界第3位の金額である。どこの国でも同じであるが、この軍事予算の使われ方が産官学の汚職を生む源泉となっていることは周知のことだ。

  20世紀末の冷戦構造終結で、世界の緊張関係は東西対立から南北対立、すなわちテロ戦争という異質の戦いとなってきている。沖縄の基地問題も、この観点から日米双方とも従来のしきたりにとらわれず率直に見直す時期にきているのだ。それは、ワシントンで首相が冷たくあしらわれたというようなことではなく、これまでのような、米国の軍事的な支配下にあることから、脱出するチャンスと捉えるべきであろう。
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