新政権の発足

第二次民主党政権
  革命や変革には時間がかかることは多くの歴史が示している。徳川幕府270年に明治維新で終止符を打ったのが1868年で、それから1890年の国会開設まで22年も要している。1789年のフランス革命から新の革命政権ができた1871年パリコミューンまで、82年もかかった。戦後65年も続いてきた自民党政権が崩壊したのが昨年の9月であるから、あれからまだ9カ月しかたっていない。

  
   自民党政権霞が関官界が構築してきた行政の巨大な無駄遣い機構に対して、ようやく否の意思を国民が表明した。それは、まさに革命に匹敵する事態であった。これにより失うモノが多い既得権益集団は、ちょうど仏革命のアンシャンレジームと同じで、何とかしてこの政権を押し潰そうと試みることも当然のことである。

  変革には資金が必要であり、徳川政権を覆そうとした薩摩や長州でも、その資金は密貿易で賄われて、幕府よりも優れた外国の武器を手に入れることができた。尊王攘夷思想をバックにした強力な軍事力により、はじめて幕府に対抗することができた。


  第一次民主党政権の小鳩コンビは、その資金の集め方では自民党在籍時代からの経験と実績を踏襲してきた。ここに目をつけたのが反革命勢力である霞が関とマスコミのタッグチームである。選挙が始まる前の昨年初めから、攻撃の照準をこのコンビに向けた。それでも民衆はこのコンビを選択した。


  政権発足後も彼らの追撃は留まることを知らず、マスコミはこのコンビを悪の権化にしてしまった。攻撃のネタはカネだけではなく、これまでの積み上げてきた巨大な負の遺産である財政赤字や米軍基地に関連する諸問題への対応のまずさに向けられた。確かにこのコンビには、攻撃されやすい体質があった。参議院選挙を控えて、いったん引き下がる決断をしたのも当然であろう。


  さて戦後33人目で、平成になってから16人目の首相が誕生した。2世3世の総理が常識となっていたが、久しぶりに誕生した自民党とも世襲とも関係のない首相である。突き付けられている問題は、相変わらずの巨大な負の遺産である。急速な変革を起こすことは不可能であるから、10年計画を立てて、徐々にこの山を崩していく以外には道はない。このままだと、2050年には人口は9000万人となるが、これに対しても、我々とは関係ないということではなく、子孫が生き延びていくための方向を示さなければならない。
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