検察審査会の運営

検察審査会で何があったか
   まるで中高生の感想文みたいな検審の起訴議決文だ。何故ならば、決定的証拠がないからすべての文章が「と思われる」、「信じられる」、「信じられない」、「不合理だ」となっているからだ。最高傑作は「恩師に対してモノ申しているから正しい」という暴論である。低レベルの役人が書いた文書だ。




   不透明な検察審査会の模様が明かされてきた。小沢氏の例では検察の不起訴決定後、隔週で1回裁判所で会議が開かれた。8月に委員の半数が変わった。説明は補佐の弁護士があたり、証拠がなくても起訴できる判例など説明された。委員の議論はなくて、事務局で用意した議決文書を承認するかどうかだけだ。


   A4で7頁の審査会報告を読んで、その内容のなさには驚く。検察官の不起訴の判断は首肯し難いという結論だが、其処への過程で確固たる証拠がないからだ。すべての文章の最後には、信用できるとかできない、違和感がある、不自然で不合理だ、などという曖昧な市民感覚だらけだ。審査会の審査が必要と思う。


   裁判員制度検審2回審査という司法制度改悪の裏が漸く見えてきた。市民目線で司法の行き過ぎを是正するという如何にも尤もらしい理由で実施されたが、実際は市民という隠れ蓑を使った国家権力の恣意的運用なのだ。特に小沢事件では早い段階で小沢起訴という方針が決まってそれに合う物語が作られた。
http://iiaoki.jugem.jp/
http://twitter.com/goroh