誰が龍馬を殺したか

暗殺者は誰か
  NHK大河ドラマでの龍馬の原型は司馬遼太郎氏の「龍馬が往く」で作られたものだ。司馬龍馬は快活で正義感に溢れた土佐藩の下級武士というパターンで、このため、多くの龍馬ファンを引き付けている。司馬先生の描く龍馬像は分かりやすく、誰でも感動する勧善懲悪的な要素を持っているが、最後に暗殺されるところで、司馬先生はどのように結末をつけたらよいのか迷ったに違いない。結局、倒幕に加担する龍馬を暗殺する仕事は新撰組と同様な役目を持っていた京都見廻り組とした。

  

  幕末の話を分かりにくくしている元は、先ずは攘夷か開国かと言うことがある。攘夷は倒幕運動であり、開国は幕府体制擁護と読むことだ。だから攘夷の頭に尊王攘夷と付くと、これが王政復古となる。龍馬は薩長連合とか大政奉還などの主導者とされているが、この中で複雑な立場に置かれることになる。土佐藩という立場で、開国派でありながら、倒幕派であるが、勝海舟との約束で武力を行使しないで、穏健に王政復古を遂げることを目指した。

  このような難しい状況に到った理由としては、龍馬を育てた英国商人が背後に控えていたからだ。龍馬は土佐藩の隠密として脱藩したが、長崎で英国商人グラバーと付き合う内に、いつの間にかグラバーに影響されて、亀山社中と言う商社代理店を作らされた。生麦事件のあと薩英戦争で敗北した薩摩は英国から大量の武器を買わせられた。

  英国の目的は日本を混乱させて、武器や船を買わせることだから、長州にも同じように武器を入れたかった。そこで、龍馬を使って薩長同盟を結成させて、対幕府軍の骨格を作らせた。ここで土佐藩の隠密としての役割に目覚めた龍馬は、土佐藩主を動かして、大政奉還をさせることで、土佐を中心とした無血新体制確立を画策していた。これにより龍馬と対立し始めたのが、英国側と薩長であった。これまでの付き合いから、何とか龍馬を説得にかかったが、武力倒幕派薩長にとっては、龍馬は邪魔ものになってしまった。この時に巻き添えを食ったのは中岡慎太郎である。


加治将一著「龍馬の黒幕」祥伝社文庫700円
*相川司著「龍馬を殺したのは誰か」河出文庫798円
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